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2007年12月28日 (金)

お詫びと、年末のごあいさつ

はじめに

おわびです。。。前回のブログですが、携帯で訂正等をしていたら、文章が途中から消えてしまいました。ご迷惑をおかけしました。なんとか修復しております。。。

そして、本年のブログはこれが最後となります。

今年一年、ご愛読していただいた方々、誠に有難うございます。来年も、愚痴を書きこぼしますので、お付き合いを願いたいと思っています。

寒さが心と身体に染みます。。。皆さま、お身体にはくれぐれもお気をつけて、良い年を迎えてください。

2007年12月16日 (日)

誰かのせいにする訳ではないけれど……

待っている。。。。いつか世界が変わるだろうと、、、

待っている。。。。誰かが変えてくれるのを、、、


この世界に入って働く事とは、だとか、今自分がしている仕事の意味とは?

な〜んて小難しい事を、真面目に考えるようになった。

昔は何も考えず、自分が何を目指してるのか、何で働いているのか、どうして仕事に就いたのか、やってる仕事の意義や作業は何の為にしていて、どんな人々に影響を与えているのか、これっぽっちも考えた事が無かった。1日が終わるのを漠然として待ち、失敗を怒鳴られても、怒られていると言う気もせず、反省もせず、毎日、毎日を過ごしていた。それは、絶望の日々であり、いつ死んでも良いと本気で思っていた。。。

今は情熱に溢れている。この介護の世界が全てを変えてくれた。

絶望の世界から脱却したいと願い、当時、高齢化社会の到来と騒がれ、介護保険が始まるからと、買い手市場のこの業界を選んだ。将来、老人介護は大きなビジネスとなり、食いはぐれはないだろう………

そんなあまーい思いでこの世界に身を投じ、今では腐りきったこの世界を憎むまで、介護の仕事が好きに なってしまった。

そして、勉強をし視野が広がる。

あの頃の自分がそこかしこにいる。ここは、かつての自分の吹き溜まりだ。。。とりあえず、、、と言う気持ちで働いている人がいて、他にする事がないからと、言う人がいる。自分はムイテないと言い放ちながら、働いている者がいる。

行き場所やたどり着きたい場所が分からないと、嘆いている。。。

しかも、悲しい事にそれが当たり前で、すべての人がそうだとも思っている。。。そうじゃないんだよ、と諭そうとする者もいなければ、それは違うだろうと怒れる人もいない。。。誰もがぬるま湯に浸かっている。。。

上司に、もうこれ以上にない程の暴言で、立ち直れないと思える程に罵倒されたこともなく、一つの仕事に大きな責任や誇りも持たずにいて、プレッシャーで押し潰れて逃げ出したいと思ったことさえもない。。。そんな経験のある自分にとってこの世界は、何と心地が良い所のなのだろうと思え、はたまた世間知らずな場所かとさえも思った。。。それでいて、離職率が高いと言うのはどういう事か???不思議さがつのる。。。

そして、働いていて一つの疑問のナゾが解けた!!

この世界には、『室井さん』がいない。

誰の為にあるのかと言う正しい信念と、それに基づいた強固な意志を持ったリーダーがいない。肩書きはいくらでも持つ人はいるが、付いて行きたいと思うリーダーシップを取れないでいる。

介護は相手が人間なので、やり方を間違うと目の前にいる人を人で無くしてしまう。生きているのに死んだ人になり下がらしてしまう。そして、リーダーが間違うと、それに従う人はもっと間違うのだ。。。

ボクが初めて勤めた老人保健施設では、徹底的に間違ったケアを推し進める人がリーダーだった。しかも、人の話や主張も聞かない強権的な存在。。。老人そっちのけで、掃除をしろと言う。トイレに行きたいと目の前でお年寄りに頼まれても、オムツに出せと言う。時間をかけて御飯を食べさせていたら、周りと時間を見て動けと言う。周りってなんだ?何時までに食べなきゃいかんのか? 徘徊するからと柱の手すりに車椅子ごと縛りつけられ、夜、眠らない人は薬漬けにされた。。。反論したりそれに抵抗すれば、こき下ろされ他の職員にいじめのように槍玉にされ、それでもと後輩に、間違いを訂正し正しい道を説いてみても、皆、自分が可愛いから、結局は何も変わらないまま、地獄の世界が際限なく伝承されて行く。。。

嫌になってグループホームに飛び出した。とても理想の高い優秀なリーダーに出会えた。今、思えばこの人に出会えた事はかなり重要だったかもしれない。。。が、周りが追いついて来なかった。あまりにも凄すぎたので、逆に浮いていたのだろう、、、が、やはりリーダーなのだから伝えねばならない。自分の信念や今やる行動の意味、、、それを伝え広めて行く事もリーダーシップの一つだろう。その人は何でも自分でしてしまっていた。よほど他の職員に信頼が置けなかったのだろう。。。人が育たない、、、これは人件費の無駄でもある、、、

介護の勉強をしていて一つの共通点に落ち着いた、しっかりとしたリーダーシップを取れるリーダーが必要だと言う事だ。正しい理念と強い信念、それでいて清濁を合わせ呑む度量を持っている。。。

今の施設では、、、

間違いが起こりまくっている。。。チューブ外しも失敗に終わった。。。柵を外しても外しても次々に四本目の柵がされ、拷問のような訓練が行なわれ、ただの時間つぶしにしかならない、脳トレが流行し、忙しいからとコールを取らず、ひどい時は傍に行こうともしない。もはや、それは介護拒否の世界、、、いいのか?それで?と、一人拳を握り締め、歯を食いしばり、いつかは世界が変わると信じ続けている。

2007年12月11日 (火)

脱帽

悲しみで花が咲くものか

新しい日々をつなぐのは、新しいキミと僕なのさ

僕らそれを確かめ合う、

悲しみの夜なんてなかったかのように

                                                  (サンボマスター  世界はそれを愛と呼ぶんだぜ  一部抜粋)


世界に絶望し、周りの全てを憎み、頑なに心を閉じ、それでもなお、いつかはと祈るように眉間にシワを寄せ、黙々と過ごしている。

    介護と向き合えない連中が、専門職として働いている。

    介護福祉士と言う介護のプロが、介護とは何かを知らずに働いている。

    介護を必要とする家族の想いを汲めず、専門家と言う糞にもならないプライドを振りかざし、「言う事を聞いていれば良い」等と、支配的で高慢な奴らが働いている。

そう言う人々から護りたい。そして、護れる人と働きたい。僕はそう願いながら、叫び声を上げれず、拳を握り締め、沈んでいるこの世界を支えようと、一人もがいている。



『K江さん』  僕の受け持ちの担当だ。入所して1年半が過ぎた。僕が今の施設に入ってすぐに担当したお年寄り。入所当初は、そう長く持たないだろう、、、とソーシャルや看護師長、他の介護の連中は囁いていた。家族も、その事をうちの施設にくる前の病院で、そう聞かされ、落ち込んでいた。

そして、僕も諦めていた。

もう長くは持たないと判を押された人を、【僕は元気にできるだろうか?】と言う変なプロ意識と自己満足を得ようとし、その中で心ならずも無理かもしれないと何もしない内から思い込んでいた。今振り返れば、なんと傲慢だったのだろうと、恥ずかしく思えてくる。

そのK江さん。入所してから、老人の底力を見せ付けてくれる事になる。

未来なんて無い、と判を押したソーシャルや看護師長、介護士、そして僕に腹が立った。確かに長い入院生活で体力は落ちてはいたが、目の力もあり、声を掛ければしっかりと返答し、手の力も足の力も強かった。この状態で、見放してしまっていた我々の何と浅はかなことか!!

僕はどうすれば良い?!

まずは筋トレか?!     

いや、それは違う。今のK江さんの状況では、トレーニングの意味はほとんど成さないだろう。起きているのもキツイ様子で、すぐに部屋に帰りたがる人に、トレーニングなんぞは、ただの拷問でしかなく、トレーニングをすれば介護をしているように見えるという、介護者の妄想と自己満足だ。

僕を信じてもらう事から始めよう

共に生きていくと言う事が介護の真実で、当たり前の事だとしたら、困っている人を見て手助けするのは、人として当たり前の事では無いのか?

自立した生活を目指す!! と、声高に介護保険制度が始まり、そして介護が必要でない介護されない世界を作ろうと、介護予防を新たに加えた。まるで、この国は老いる事を許そうとはしない。

そのために、嫌がるのを無理やりに立たせ立位訓練。ひどい時には、立てもしないのに、立たせようとしたり………

歩行器を使い、がたごとやっと歩けるのに、歩行器無しで歩けと言い、腰が痛くて嘆いているのに、寝たきりになると脅し無理にでも起こす。

こんな地獄のような世界を、盲目の人々は何も見えず、それが正しいのだと信じきり、幻を追い続けている。。。

K江さんも、その幻に取り付かれた人々の餌食にされた。

寝たいと言うのに、もうすぐご飯が来るからと起こし続けられ、車椅子を押して欲しいと言うのに、自分でこげるのだからと無視され、ご飯を食べさせてと言えば、自分で食べろと叱られる。その度に、K江さんは何も悪くないのに「すいません、ごめんな」と謝り続けなければならなかった。。。これが、どんなに苦痛なことなのか!!

僕はその度に、まるで嫌味のように間髪入れずに、K江さんの言う事を聞いた。

寝たいときに寝る。お年寄りには起きる自由も寝る自由もあるはずだ。その自由を介護者の、食事が来る時間だからだとか、お風呂に入る時間だからと言う都合で奪って良いはずはない。

車椅子を押そう。押して欲しいのだ。我々が手伝ったからと言って、老人はしなびたりしない。

ご飯を食べさしてあげよう。だってそうしてもらいたいのだ、困っている人を見て、見ぬふり、いや、あきらかに見ているのに行動をしないのは、それは、いじめのなにものでもない!!

甘やかしていると、見られただろうか? 甘やかしているからK江さんは何も出来なくなったのか?! そんな事は無い。病気と老いと、幻に取り憑かれた連中としっかり向き合い、ちゃんと生きているじゃないか!!

中には「マーさんは優しいなぁ」と言い、何もしない奴も居た。

その度に歯を食いしばり、僕は、K江さんのみを見て働く事にした。

僕が気にするのは、決められた時間内に決められた事をしなきゃいけないと言う、業務の流れを気にする事ではなく、目の前の老人の苦しみであり、喜びだ。

他の職員に責められたり、影口を叩かれたりするのが怖いから、職員の顔色を気にするのでは無く、老人の瞳にある、生きる希望の灯火が消えていくのが怖くて怖くてしょうがないから、老人の目を気にするのだ。

ゆるぎない想いを持ち立つのだと、僕は覚悟を決めている。。。

K江さんに話を戻す。。。

K江さんが何よりも幸せだったのは、素晴らしい家族に囲まれていた事。K江さんは家族の力でみるみると元気を取り戻して行った。家族の深い関わりの中で、K江さんは生きる望みを持ち続けたのだろう。

入所して半年。機械の寝台にマグロの解体ショーのように横になったまま、まるで皿洗いのように為す術も無く洗われ、およそ風呂とは呼べれないその世界から、椅子に座り自分の力で身体を洗い、またいで浴槽に入れるようになり、スプーンで食べさせてもらっていたのが、いつしか、箸を使い自分で食べれるようになっていた。

そうだ!!

特別な事は何もしなくて良いのだ。その気になるまで我々は何もできないし、何もしてはいけない。する事はただ1つ。。。生きる希望の灯火が消えないようにする事だ。

諦めていた。

専門家の誰もが諦めていた。諦めなかったのは、介護を知らない素人であるはずの家族だけだった。

自分を責めた。そして、世界を広げてくれたK江さんと、家族に感謝し脱帽。

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そして、もう一つ脱帽することがある。この施設で働いて初めて他の職員に対し、嬉しさを覚えた事だ。

K江さんはその後、幾度か脳梗塞やその他の病を患い、徐々に体力も落ち、機械のフロになり、自分から声を発する事もしなくなり、食事もままならくなった。僕は、その原因を知ってはいるが、今回はその事には触れたくはない。

悲しみだけを訴えても、何も変わりはしないのだ。。。

1年半が過ぎた頃、食事を食べなくなった。案の定、クソだまりで働いてクソにまみれた連中は、チューブにしようと言ったり、チューブにしたくないと意気込む専門家気取りのバカは、やっきになって食べようともしない、開けようともしない口に、無理やり食事を突っ込んでいく。それを止めてはみるものの、クソとバカは俺が居ない所で、それを続ける。。。

食べないのは何故か?きっと食べたくないと思う理由がある。

何も食べずに死んでしまいたいと、生きる希望を失った理由がある。もし、その理由を我々が作り出してしまったのならば、我々の力で取り戻していかなければならない。

一度失った希望の火を灯すのには、一人の力では無理。皆の力が要るのに、灯す為の街灯を立てようとする度に壊していく連中ばかり。介護福祉士と言う国家資格が、看護師と言う国家資格が、医者と言う国家資格が、、、マンパワー不足を補う為に作られたスペシャリストがだ、、、ホントのマンパワー不足とはこの事を言う。資格の意味と資格者としての誇りと意義を見出せない者達の存在。

頼みの家族も今回ばかりは、下を向いた。

「ご飯を食べなくなっってしまいまいたねぇ。話しかけても見向きもしないし、、、どうしたら良いでしょう。。。」

何も応えられない自分に、情けなさを覚える。家族が救いを待っているのに、僕は何も出来ない。。。切なくて切なくて。。。

そんな中、一人の女の職員が光を放った。人なつこく、誰とでも楽しそうに話をする。それでいて、何故か同じ年代の女性職員とはあまり上手く行っていないようで、時々、腕にリストカットの跡がある女の子。。。

「Kえさん、手で持って食べて!!」

最近では拘縮も進み、肘の関節や手首の関節も動かない状態にまでなってきている。自分の手で持って食べれるのか?食べるかもしれない、が、それは本人がその気にならないと無理な話。自分で食べる事が自立だと勘違いをしてしまう事、そのために拷問のような介護を続ける事、これ程の悪はない。。。

僕は自分以外の職員を信じていない。僕が居る間は、なるたけ他の職員にお年寄りを触れさせないようにしている。「いいよここは俺がするから」とそう言い、近づけさせない。苦しみを提供されるくらいなら、休憩時間を減らしてでも自分がした方が良い。

なので、このリストカットの事も信じておらず、もう一度同じ事を言って食べさせようとしたなら、制止しようと思い構えてK江さんを見つめていた。

電気が走る。

K江さんの手が動き、あれだけ開かなかった口が大きく開き、スプーンに盛った御飯を食べたではないか!!  久々に鳥肌が立つ感動を覚えた。

「K江さん、さぁ自分でスプーン持って食べて」

リストカットは再びそう言うと、自分の手を、拘縮し上手く動かなくなったK江さんの手に添え、食事を促す。K江さんの口の中に、御飯が、おかずが次々と入って行く、無理やりでもない、自然にだ。閉ざされていた目が開き、失いつつあった生きる希望を取り戻そうとしている。。。

思わず、自分の顔を平手で殴った。驚いたその女性職員が、どうしたのか聞く。

「あきらめたらいけんな、、、俺はあきらめてたよ。ありがとう」

久々に誰かに感謝の言葉を送った。職員に対しては初めてだろう。いつも、憎しみの言葉しかあふれてこないのに、、、悪は俺であったかもしれない。何かをすればどうにかなるものを、僕はハナから諦め何もしようとしなかった。これも、れっきとした悪だろう。。。

こんな近くに、これ程まぶしい光を放つ人が居たなんて……そう言えばこの娘、よくお年寄りの傍に居るよな、、、それで、他の職員とは上手く行ってないのか、、、業務優先主義からはそら疎まれる。

リストカットの職場での行動を振り返ると、ナルホドと思う。彼女はお年寄りの傍に居る事が、時間通りに業務をこなし、何もかも早く終わらせる事よりも大切だと、本能で知っている。いや、もしかしたらちゃんと勉強しているのかもしれない。

「何で、スプーン持たせて自分で食べさせようと思ったの?」

「どうせ動かないし、ご飯も食べてくれないならダメ元と思って……それにこぼした米粒に指で反応して、ねって遊ぶから持たせたらどうーかなぁって。」

感性の高さと気付きに、いたく感動した。ダメ元と居直る前向きな発想と、米粒に反応する姿に気付ける洞察力。

脱帽!!

護るひとが、傍に居た。悲しみの日々にうな垂れて歩いた事なんて、丸で無かったかのように、心が晴れやかになった。





その後、K江さんは、心無い連中に滅茶苦茶にされつつも、何とかしたいと願う光を放つ人に護られながら、1週間自分の力で食事をし、いよいよその希望の灯が力尽きるようにして、急に具合が悪くなり、急性期の救急病院に運ばれてしまった。

多くの学びを今回の事例は、僕に落としてくれた。その機会を与えて下さったK江さんとその家族に感謝せずには居られない。

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