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2007年11月 7日 (水)

憤り

病気につきものと思われている苦痛の原因は

必ずしも、その病気によるものではない

                                                                                   ナイチンゲール著  看護覚え書 序章 より


こんな事をこの公共の人々に見てもらっている(見られているのか?どうかは別にして)

にも関わらず、言い放ってしまうのも、僕の人間性を問われてしまう事かもしれない。。。

しかし、言わずしてなるものかと、思わずにも居られない。このブログは僕自身が介護とはと問い、介護とはと向き合う為でもあり。そして、これから襲ってくれであろう、介護という切っても切れない世界に向き合わなければならない人々に、少しでも介護の閉ざされた価値観と暗闇を伝えたいと思って書いている訳で、、、



看護婦が嫌いだ!!

この世界に入って本当にキライになった。

白衣の天使ともてはやされ、巷の男達が憧れる、この聖なる職種が何と横暴で悪魔的な存在なのか・・・・・

随分と前になるが、今、務めている職場の看護師と話をする機会があった。一応、看護の主任を任されている男の子。今夏に我が施設が属する医療法人の大元が、何やら全国的な学会をホストとしてやるらしく、その学会で発表をしたのですな。。。老人ホームが病院の学会で何を発表するのか???

聞く所によると、福祉分野と言うカテゴリーの中で、ナース部門として発表。当時は、かなり遅くまで、作業をしていた。ご苦労なことである。。。

で、肝心のテーマは『福祉施設における、看護師の存在』 そして、その事でその主任に相談を持ちかけられ訳で、、、

「介護の人って、看護をどう言う位置づけで考えてるの?」

と単刀直入に聞かれた。。。。

「老人を苦しめる、天使の仮面を被った白衣の悪魔」

と答えたい衝動を押さえ、冷静にそして、当たり障りのない答えで切り替えしておいた。波風は立てたくない。

「そーやなー、まぁ、何かあった時に居てくれたら助かるわ、こけたとか、熱が出たとか、ノドに詰めたとか、あとは、ターミナルの時とか、、、」

今のままの考え方なら、看護師は居なくてもいいんじゃないの?と答えたかった。

  ご飯を食べなくなったから、、、チューブで

  トイレの回数が多いから、、、バルーンで

  落ちたり危ないから、、、ベッド柵で

そんなやり方が、老人の為だと思い、それで救ったと勘違いをしている輩は、居ない方がましだ。

「介護の人って、何を考えて何を目指して仕事してるの?」

そうも聞かれた。

「じーさん、ばーさんの事を考えて、普通の事をするだけ・・・」

と答えようとしてやめた。彼らには普通の事が理解できないからだ。もっと言えば、老人は、施設や病院に入っている人達は、弱っているのだから普通の事なんて出来ない、しても余計に身体が弱るからしなくていい、そう考えている。

老人を知らない。老人を侮っている。

三好春樹氏の著書に生活障害論と言う本があり、そこに書いている図表を使って、介護の専門性、介護と看護が共に目指さなければならない領域を説いた。。。看護師は、データにウルサイから、目に見える形で説明する。うっとおしい限り、、、

まぁ、案の定に納得が行かない様子。キミ達は、他の職種からの意見に耳を貸そうとかしないのか!!自分達の言う事だけを聞いてればいいみたいな態度でいつも居やがって!!看護師がどれだけ偉いというのか!!

まぁ、説明の仕方も悪かったのだろう、説明していく言葉の端々に、今のあんた等の考えややり方では、お年寄りの顔に光は灯せやしないと、散りばめながら話をしたのだから、、、

『俺達、看護っち病気を視点に考えてしまうんよ、その人の状態を見て、その状態がどんな病気によって成されているか考えるんよ。そして、その病気を治して処置して、良くなれば元気になるって考えなんよ。。。病気の周りに人が居て、そーやって救いたいんや」

彼はそう熱く語った。看護師ならではの本音が聞けて嬉しかった。彼らもその仕事なりには考えてはいるのだ。一概に悪とは決め付けられない。

が、

「でもね、、、じーさん、ばーさんって、明日にはもう目の前から居なくなってしまうかもしれんのよ。下手したら今日、今この瞬間に居なくなってしまうかもしれん。。。病気を見るのも大事かもしれん、でも病気を治す事で苦痛に感じてしまうなら、それで長生きさせてもらってなお苦痛なら、意味がないやん。それよりも、その病気と共にっち言う考えは持てないやろうか?」

彼らの思いは十分に理解はしている。でも、僕の目の前に居るお年寄り達は、もうすでに病気と闘い、そして老いると言うことに何とか向き合っているのだ。

彼を否定するように、僕は続けた。

「俺達介護は病気とか分からん。もちろん、ある程度は勉強してるけど、詳しくは分からないよ。人体の構造とかなんてもっと分からん。だから、それを相手にしても太刀打ちができないんよ。ましてやお年寄りに病気の治療や、病気、病気、病気と言っても、もういいんじゃないって思ってしまう。だってもう十分長生きしたよ。それよりも、長生きできて良かったって思うことを提供したい。病気の治療やその他の色んな事、例えば俺達と関わって、苦しむぐらいなら死んだ方が良い、って思われるのだけは、避けたい。

俺達、いや他の連中はどう考えてるか知らないけど、俺は、お年寄りの人生を相手にして仕事をしてる。だから、真剣にキツイ。目に見える効果も殆ど出ないし、空回りで振り回されてばっかし、でもそれが介護の楽しさやと思うし、やりがいと思う。まぁ、看護師達には分からない感覚やろうけど、、、」

そう言うと、彼は黙った。看護師の持つアイデンティティを真っ向から否定したのだ。後から思えば、自分が何様かと自己嫌悪に陥った。



このブログは、『護るひと』と言う題だ。

護るとか救うとかって感覚は、きっと本来は介護には不向きな言葉だろう。

介護は共が良いと思う。だが、その共にが理解できずに介護に携わっている輩がいる。そしてそんな人々が、さも、私は老人の為、介護が必要な人々の為に働いていますと言い、苦しめている。それが、医師であり看護師であり、そして共にであるべきの介護だ。

そんな連中から、僕は護りたいと願う。。。

そして、これを書いていて随分昔を思い出した。この仕事を始めたての頃の、ある冬の日の終業時間前の事だった。

青白い顔をして、ガタガタと奮えながらもなお気丈に「大丈夫」と笑顔を絶やさないお婆ちゃん。食堂で、懸命に震える身体をこらえ、他のお年寄りと共に食事が来るのを待っている。

熱を測ると、39度!!高熱である。詰め所には三人もの看護婦が、椅子に座って時間が来るのを馬鹿面を下げて待っているではないか。しめたと思い、看護婦に伝えると、フイに嫌な顔をされた。そしてボソボソと声が聞こえる。

何で、今頃に熱なん・・・

測るからよ。。。

もはや、看護師としての本文を忘れている。早く帰りたかったのだろう。その日は、熱を出した人が沢山居た。だから、うんざりもするだろう。

でも、そりゃないよ。。。

俺が注射できるなら、するっちゅうねん!!

そういうことが出来ないから看護師に頼むのだ。ましてや老人保健施設。看護師が常に居る中で、対応して欲しい時にすぐにしないし、しようとしないなんて・・・・・・

僕は看護師がきらいだ!!

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