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2007年6月27日 (水)

痛みの雨が降る・・・・・・

いつか見るだろう、同じ拳を握り締めて立つ人を

   いつか会うだろう、同じ気持ちで爆発しそうな仲間と



かつて、そんな唄を聴いた。そして、僕は同じ志の人々に出会うのを待ち続けている。


『N子さん』。

つい最近入所して来た方。まだ50代と言う若さで病を患い、実母が今までお世話をして来たと言う。今回、その実母が急病で倒れた為、違う施設でショートステイ後、我が施設にやって来た。

強烈な個性を放つ方であった。とにかく何もしたくない、と言うより何もされたくないようである。

少しでも身体に触ろうものなら痛みによる苦悶の表情を浮かべ、「触るな」と言われる。なので、無理やりは起こせない、、、けど、起きたくないから起こさないでは、寝たきりではないか、それも困る。。。

起こそうと思って誘うが   「起きない」

ご飯で釣ろうと思っても   「起きない、ご飯も要らない」

「このままでは、寝たきりになって死んでしまうがね」と、ちょっと脅してみても

「良いN子は死んでも良い」   と頑なに起きない。。。

とりあえずは、ベッドサイドでと思い食事を持って行くが、少し口に入れると「もういらない」と、なってしまった。。。そんなこんなが二、三日続く、、、

そして、N子さん離床大作戦を俺は練る事に、、、

ますは、部屋に行きすぐに起きるかどうかは聞かずに、しばらくお話をする事に、、、2~30分腰を据えて話をする。業務なんてクソ食らえ。。。まずは、N子さん優先!!

部屋に入って挨拶をすると、挨拶の返答があった後「もう来なくていいよ、あっちに行きよ」と、冷たい言葉を投げかけられる(泣)

それでも、めげずに椅子に腰掛け、今日の調子や天気の話を始める。優しい方だと心底思った、こちらの問答に答えつつ、そして、「もういいから、向こうに行きなさい」と、突き放されるのだ、、、本当に嫌なら話はしてくれないだろう、それとも気を遣ってくれてるのだろうか?そんな事を考えながら、色んな事を聞いた。

新潟に嫁いでいた事、父親が好きだった事、嫁ぎ先では幸せな家庭を築けなかった事、実家に戻って来て自分の店を持った事、ここの料理はおいしくない事、早く死んで、好きな父親の所に行きたいと思ってる事、話の途中では、ふいにテレビが気になりテレビの話題をふってくる事、etc...

時間の許す限り、傍でN子さんを知ろうと尽力した、、、そして、ご飯の話題が出た所を見計らって、「起きてご飯に行かない?」と尋ねてみた。。。

「うん」

そのたった一言に俺は、涙が出そうなくらい感激をしたのを覚えている。無理やりはやっぱ良くねー。何人かの他の介護福祉士は、時間になれば問答無用で彼女を起こしていた、、、

起こそうとすると「痛い、痛い、やめてけれ~」と、叫ぶ。何故痛いのか俺はこの時は、良く分かっていなかった。きっと、前のショートステイでは寝たままにされて、体が固まりつつあるからだ。左マヒが痛いのだ。とそれくらいの想いしか抱けてなかった、、、後になって痛みの本当の原因を知るが、その時は全く頭になかった、、、

痛がりつつも、何とか車椅子に離床にする事に成功。「あー痛かった。ほんとにあんたは下手や、東京に行って練習してきよ」と、離床の度に言われるのが日課となり、その後髪をとかし機嫌を取るのが毎日の二人のやり取りだった。。。

起こすのには、何とか成功したが?次の問題が出てきた。食事である。。。食べない、まぁとにかく食べてくれない。久々に、これほど食べない人に出会った。

しばらくは様子を見ようと介護の中で話があがり、しばらくすると、看護からチューブと言う話が出てきた。ここで看護への愚痴。うちの施設の看護婦どもは、老健施設を病院と思っている。それを証拠に老人を患者と言う。病気を患っていまだ治さなければいけない人と、思っている。そんな人は老人ホームに来ない。と、説明した事があったが理解はしてくれなかた。。。老人は患者ではない。しいて言うなら障害者だと思う。何の障害か?生活の障害者なのだ。。。ボケてるから、マヒがあるから、上手く生活ができないのだ。ボケを注射や処置で治療できるか?左マヒをどーやって治療する?そんな事ができるなら、世界中の老人は苦しまずにいれるだろう。そして、正しい理解のないバカな看護師がいる世界は、地獄の何物でもない。ぼくは、そんな看護師をバカん護師と呼んで、全く取り合いもせずに日々を過ごしている。もちろん、こんな看護師は極稀であろうが、、、

で、チューブにされるのは何とか阻止せねば。。。

チューブ阻止大作戦を決行!!

まずは、水分だと思った。何故そこに行き着いたのか分からないが、きっと、ご飯とかの固形物より、水分の方が飲み込みやすいからと言う、単純な感覚からそう思い立った。

甘いものを用意したが無理だった。初めの一口は飲むが、二口目からは口に含んだままで飲み込もうとしない、その挙句、吐き出してしまう。。。

トロミを付けた。ハナから飲まなかった。お茶のゼリー、、、失敗。。。

どーすりゃ良いのよ。。。傍ではバカん護師が、「飲まないとチューブよ」と脅しを掛けている。脅すヒマがあるなら、チューブじゃねぇ方法考えろよ!!

頭を抱えていると、ふと目に留まったのがオリゴ糖。。。他のお年寄りの物で糖尿があるからと、家族から砂糖の代わりにと持ってきてもらったものだ。ピコンと頭の上で音がし電球が点いた☆

冷蔵庫から氷を取り出し、小さく砕く。その上にオリゴ糖をぶっ掛けて、即席のカキ氷の出来上がり☆☆☆

「N子さん、カキ氷できたよ」

目の前に置くと、スプーンを持ち一口食べた。一口目は良いのは分かってる、問題は二口目、、、固唾を呑んで見守っていると、二口目も美味しそうに食べてくれた。

「おっしゃ~!!」思わず、声に出して喚起したオイラ。ガッツポーズつきで叫んだ。水分は、その後、氷やアイスクリームで補えるようになり、次なるアプローチ。。。

食事だ、、、これは厳しい戦いとなった。一口食べて、もう要らないの一点張り。

ご飯に目をやる。お椀に白ご飯。左マヒとは言え、右も拘縮しかかっている。食べにくいかな?一口サイズのオニギリを三つばかり握って目の前に置いて見る。三つとも食べてくれた。ご飯はオニギリの方が食べやすいと言う事が分かり、昼と夕方はオニギリへ、朝は昔からパン食だったと言う事で、食パンに。しかもバターをたっぷり塗りホカホカが良いそうなので、食事が上がってきたら食パンにバターを塗り、レンジで温める。

これで、何とか食事が落ち着いたが、ここで再び問題に俺は出会う。



最もキライな出来事で、最もイライラする事柄。

どんなに上手く水分や食事が食べれるようになったとしても、次の日やそのまた次の日も同じように食べれる訳ではない、食べたくない日だってある。。。

それを理解できない連中。

飲まないからと氷を何度も上げる。

オニギリを何度も口に持っていく。

一つ上手く行くと、

そのやり方でしか、援助をできない。

そのやり方しか、しない。

そのやり方でないと、ダメだと思う。

結果、強制的となり、苦しむ人を救う為に考え出した方法が、逆に苦しませていく事になる。お年寄りは強要させられ、自分の意思は無視され、受身になる。それは、死んでいるのと一緒だ。

何故だ!!

何故、他にと考えようとしないのだろうか?もっと、こうすれば、こうしてみようとか、考えないのだろうか?時間が掛かるからか?思考に何時間も掛からないだろう。かかったとしても、業務に何ら支障は出ないだろう?頭の中で考えてるんだ、時間は関係ねぇ。

考えるのがメンドクサイのか?あれやこれや考えるより、決められた事を決められた時間内にやってしまえば、仕事した気になるもんな。。。それさえやっておけば、「あの人は」なーんて影口言われなくて済むもんな、、、

どーせ、失敗するからと思うからだろうか?色々しても、結局できないから。。。だから、無理やりした方が早いし、無駄な時間使わなくて済むし、振り回されなくていいもの。俺達は振り回されてナンボだろ?そうやって、目の前のお年寄りを本当の意味で好きになって行くのに、、、

それが専門職か?

三好春樹先生が、見事なキャッチフレーズを唱えた。

「介護は、考える杖である」

まさにその通りだ。生活に障害を持つ人に対したとき、その瞬間にどれだけ沢山の方法を考え出せるのか?もしくは、考えようとするか?それが、介護だ。それを考える人を介護福祉士と呼ぶのだ。

僕は何も考えようとしない連中を、バカい護福祉士と呼び取り合わないでいる。

まぁ酷い状況が起き始める。起こすのも無理やりならば、食べるのも無理やり、挙句、イタイイタイと泣き叫ぶのに、訓練さえもやってしまう。。。

その度に、俺は傍へ行き。その流れを止めれない事を詫び、時間の許す限りお話をする。そして、その度に「いいのよ、ありがと」と、N子さんは慰めてくれた。

そして、

日が経ち、一月半が過ぎた。おりしも老健大会真っ最中。(九州大会で、二日間の日程)わが施設では堂々と、チューブ外しを発表し、意気揚々と施設に戻って来た。このチューブ外しに関しても、問題があったのでこれは又の機会に、、、

そして戻ってきて愕然とする。。。

いつもの様にN子さんの部屋へ、、、、

プチンと、頭の後ろで音がする。その瞬間、N子さんの部屋の壁を2、3発殴った。それでも飽き足らず、部屋の掃除の為に用意したバケツも蹴散らかす。

鼻からチューブをされ、横たわるN子さん。。。

その後、チューブになった経緯を聞かされる。俺が老健大会に行っている間に、身体が傾き始め、力が出なくなったとの事、ドクターの指示で急遽、チューブへ移行したそうだ。

再び部屋に戻る。チューブを鼻から抜き取る。離床の時外れてしまいましたと、嘘をついた。その日の食事は上手く食べれなかった。味噌汁にご飯をつけて柔らかくすると、少し食べた。それでも、すぐに元気にはならない。。。で、バカん護師に「食べれないよ、チューブにしよ。元気になったらまた口から」と言われた。

部屋で、再び壁を殴る。洗面所の洗面台を蹴り飛ばす。その日は荒れに荒れた。誰に声をかけられても、無視し続けた。それは、お年寄りに対しても同じだった。。。

N子さんが力を無くした理由を俺は知っている。もちろんご飯を食べないから力を失ったのだが、それ以前にこの人が生きる希望を失った理由を、俺は見ていたのだ。

痛がる彼女を無理やり起こしたり、食べない口の中に無理やり詰め込んだり、そして一番の原因は、無理やり訓練をしていた事だ。痛い痛いと悲痛に叫び、それでも拷問のように繰り返される訓練。それらが、生きる希望を徐々にそぎ落として行ったに違いないのだ、、、

「立てなくなるよ」 「車椅子漕げなくなるよ」

俺は、見ていながら止めれずにいた。

怒りが込み上げる。誰でもない自分にだ。老健大会に行く前までは、まだ元気だったじゃないか。その時に、その前に、バカな連中の暴挙を止めれたではないか。本当のバカい護福祉士は誰なんだ!!

何度も何度も、壁を殴った。左手の拳の皮は擦り切れ、右手は赤く腫れ上がる。

そんな状況でもまだ、無理やり起こし、鼻にチューブが入っているにもかかわらず、無理やり口に何かを入れようとする輩がいた。

「もういいよ。無理して食べなくていい。無理せんといけんなら、死んだ方がいい」

その手を止め、部屋へ帰り。そしてレクが終わる時間ずっと傍へ付き添う。その間、N子さんは、「もういい、あっちへ行きなさい」 「あんたは好かん」と ゼイゼイ呼吸をしながら憎まれ口をたたくのである。。。

そして、一週間。彼女は息を引き取った。

申し送りで、それを聞き。部屋へ行く。急変の後の雑然さが残る部屋で、片付けを始める。衣類を整理し、ベッドを拭き上げ、そして、洗面台に置いてあったクシを手に取る。離床の度に、機嫌を取り続けたクシ。その隙間に、N子さんの髪の毛が挟まっている。それを取りながら、泣いた。

声を殺して泣いた。込み上げる嗚咽を誰にも聞かれないように泣いた。

俺は彼女に何もしてやれなかった。いや

何もしなかった。

もっと早く、色んな事をしなければならなかったのだ。。。

彼女は、我々施設の人間を憎んで死んでいった。そう思わずにはいられない。何もしない連中を、憎みながら死んでいった。死因を後から聞かされる。気管支肺炎と卵巣癌。痛みの原因が分かった。ガンによる痛み、、、俺はそれすらも調べてもなかった。知りもしなかった、、、

壁を殴った右手が痛む。その痛みを倍にするようにして、胸が痛む。

自分が情けなくて情けなくて、、、

2007年6月11日 (月)

あれは、俺だ・・・

時折、思い出す事がある。二年前ぐらいのことだ、ちょうど、僕が前にいた老人保健施設を辞めると決意し、新たなグループホームへ転職しようとした時だった。その時、衝撃的な事件が起きた。

グループホーム職員による、殺人

品行方正の職員。家族にもホーム内の職員にも、評判の良い好青年だったと言う。

ナニが、彼をそうさせたのか、、、

我々は、そのナニかを知ってるはずだ。  =誰もが内に悪魔を飼っている

介護は、地獄だ。特に身内からしてみれば、それは壮絶な世界。

身内ですら、投げ出してしまいそうになる事を、赤の他人の我々が手をつける、、、

それは、もっと過酷だ。

事件の真相を僕は知らない。

だが思う。あれは単に、青年の本質が殺人を犯してしまうような悪人だったからだとか、人手不足による疲労の果てだから、と言う次元の話では無いのではないか?

(お年寄りを敬いなさい。)

(なりたくてマヒや認知症になった訳じゃないのだから、その事を理解して気持ちを汲んで接しなさい)

そんな事は分かっている。それをやろうともしている。だからこそ、悲劇は起きる。

そんな心を持たない者が介護をしたならば、きっと、こんな事件は起きはしない。どこかの施設でも有ったが、檻に入れるなり手錠をしたりで済むのだから、、、



我々が対面する老人は、強烈な自己主張を繰り返しながら迫ってくる。

     さっきトイレに連れて行ったのにまた

     何度も何度も同じ事を言う

愛情が愛憎へ変わる瞬間、、、、、、そして悲劇となる。

僕は人間だ。善意も有れば悪意も持っている。好きがあり嫌いもある。どんなにキツクても頑張ってやると意気込んでも、キツイものはキツイ。そんな中で悪魔との対峙の瞬間が、老人と向かい合う度に起こるのだ。

そして、ふいに思い出す

あれは俺だ!!

2007年6月 4日 (月)

裏切り・・・・・・

僕は、人をいつしか信じれなくなった。。。

この世界に入るまでは、人付き合いも良く、上からは可愛がられ、下からは慕われ、同年代とは気さくに、、、

そんな人間だった。

もちろん、その当時は、あまりにも鈍感すぎていたのかもしれないが。。。


人は平気で裏切るのだ

という事を僕は知った。

こんな光景が良くある。詰め所で、介護士たちがヒソヒソと話をしている。 とてもミステリアスな光景。。。休憩室でも、ヒソヒソ、ヒソヒソ……

僕はこれが、今晩のおかずや、近所であった事を話している単なる井戸端会議では無い事を、この仕事に働き始めてしばらくして知った。

―品評会―

新しく入った職員がどんな人間か、又、今まで働いている人間の働きぶりはどうかを、ヒソヒソと品定めをするのだ。。。いわゆる粗探し、、、

僕は自分が標的にされるなんて、ツユとも知らずに働いているわけで、、、もっと言えばそんなおぞましい世界があるとも知らなかったわけで。。。

何故なら今までは、おかしい事はその時に面と向かって指摘されたし、指摘されても自分のやり方に信念があれば、面と向かって対抗し、そうやってコミュニケーションを取って来たからだ。やり合うのはその時で、後腐れナシのそんな世界で育ってきたのだ。。。

まさか、この世界がやり合うのではなく、やり玉にされる世界だとは!!

後腐れではなく、遺恨が残る世界、、、

そして、その品評会は、本人には聞かれないように行なわれているにも関わらず、何故かいつの間にか、当の本人に辿り着く。

その時から、僕は、この世界の住人を信じれなくなった。

「ここの施設って、お年寄りを大事にしないよねぇ」

仲が良かったある女性の職員に、ポツリと漏らし、もっとこーすればとか、こんな風にしてみたいとか、熱く語ったら、次の日にリーダーに呼びつけられ、えらい剣幕でこき下ろされた。

「そんなのできるわけないでしょ」 「そんな時間がどこにあるの」 

もちろん反論した。反論したらしたで、もう、のべつまくなし、、、まくしたてられた挙句。。。

「あんたは、的外れで動かん。ダメや。みんなからクレームがあるのよ!!」

と、今まで言えなかったのであろう、ヒソヒソ話で押さえていた鬱憤を晴らすかのようにして、言われ僕はK・Oされた。

みんな。。。

みんなが俺を非難の的にしていたのか、、、当時は、影で言われるのは、とてもツライし、悲しいし、本当に傷ついた。かなり、大雑把で、あっけらかんとし、自分で自分の事を、大物だと思っていたが、我ながら繊細でもある事に、気付いた瞬間でもあったが、、、

最近になって、傷ついたホントの所に気付いた。僕は、別にヒソヒソ話のネタになった事に傷ついたのではなかったのだ、、、



僕には信念がある。

それは、老人と共にである。老人の傍で老人に寄り添い、自分の都合ではなく、老人に合わせて、じっくりと、仕事がしたいと思っている。そのやり方は曲げたくないし、それが、きっと良いはずだ、と信じている。

だから、、、

それと正反対の人間は鼻からキライだし、折り合おうとも思わないし、そんな連中の顔色も気にならず、堂々としている訳で。。。自分とは正反対の連中に、非難されても何とも思わないし、むしろ、大歓迎なのだ。

が、こいつは、この人は俺と同じだ。俺の同志だ。と思っていた人にさえも、皆と同じように非難されていた事に、ヒドク傷ついたのだった。

それ以来、僕は職場の人間と話さえもしなくなった。。。眉間に皺を寄せ黙々と働く、、、

悲しいかな、最近ではもう、ハスに構える癖までついた。。。

ある職員が、とても感じの良い言葉使いでお年寄りと話していても、(その言葉の裏でお前はどーせ、老人を苦しめるのだろ!!)と見つめるようになった。

  • 人の役に立てると思って、この仕事に就きました

と、立派な志を話す職員に対しても、(食べたくないと言っているのに、おどしや何やらで無理やり口をこじあけ、食べさしたりするのが、人に役立つ仕事かね!!)

  • 私は、お年寄りが好きでこの仕事に就きました

本当か? なら何でトイレに行きたい時に、便所に連れてかねぇんだ!!

  • お年寄りって、可愛いですね

可愛い?  それは自分の都合に添わしているからだろ?

こんな事を言う連中ほど、老人と向き合わず、平気ベッドに柵をして下りれないようにし、コールで呼ばれているにも関わらず、すぐに行かずマイクで話すだけであり、恍惚とするボケた年寄りを、何も分からないと、犬や猫のように扱うのだ。。。



僕は何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、裏切り続けられ、

それでも、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、いつかはと信じている。





自分も誰かを裏切っているかも知れない、だから、僕は拳を振り上げて胸も張れない。そして、僕と同じように期待している人がいるかも知れないと、握った拳に力を込め続けているのだ。

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