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2006年6月27日 (火)

ワイワイがやがや

集団ケアを馬鹿にしていた。集団ケアは、ただ効率良く業務をこなしていく為の何ものでもないと、見下していた。そこには、肝心のお年寄りはいなく、あるのは、その場限りのマンネリ介護。。。。

そんな中、我が施設で弁当を買ってみんなで食べようとなった。

弁当屋さんから、四種類の弁当を購入し、お年寄りに選んでもらって、職員も家族も一緒に弁当を食べる、と言うものだ。初めはそんな無謀な事できる訳がないと、斜に構えていた。が、以外にも企画案はすんなり通り、この企画が実行できる事になったのだ。ちょっと嬉しかった。今まででは考えられない世界だから。前の老健では、確実にダ出しの企画。厨房からは人と時間がかかるし栄養面でも厳しいと言われ、事務からは費用面で文句を言われ、看護からはそんな事をして何になるのかと、つっこまれ実現できなかった。

少し今の施設の良さを実感した。ちょっとだけもう少し頑張ってみようかなと思った。

狭いホールにお年寄りと家族と職員。ぎゅうぎゅう詰めの中で、「もう少しずってくれんね」「あんたは、何弁当ね?」「お酒をくれんか」「おいしい」

ワイワイがやがや。

集団ケアが必要な気がした。介護の世界は今、小規模と叫ばれている。家には五十人、百人も普通住んでいない。だからできるだけ少人数で、家庭的な雰囲気を…

確かにそうだと思う。できるだけ小規模にすればお年寄りと向き会えれるし、じっくりできるだろう。けど、それだけでもダメなのだ。集団ケアの中に、個別性が得られればそれはそれで、楽しい。

弁当を選んでもらう。たったこれだけが年寄りの瞳に輝きをもたらした。まさに介護の醍醐味だ。看護や医療には実現できない生活プロの、ダイナミズムと言ってもいいだろう。そしてこれは科学的データでは出てこない。根拠もない。

みんなでいつもと違う事をするから楽しい

当たり前の理論。

いつもと同じ生活。その中にいつもとちょっと違う事があるから、生きていて楽しいのだ。明日も良い事があると良いねと思えるのではないか?それを証拠に、いつもご飯を半分残す方が全て平らげ、デザートもしっかり食べていたし、飲み込みが悪く、普段は人より倍時間のかかる方も、非常にスムーズに飲み込んでいく。

気のせいか、お年寄りの肌がスベスベしているように感じた。たぶん気のせいだろうが…

2006年6月 7日 (水)

俺は何をしているのか?

介護のホームページを立ち上げて、四ヶ月が経った。介護の世界を知ってほしいと、願ったからだ。これから、介護の世界に足を踏み入れていく人々に、この世界をしっかり認識して苦しみを産まないでいてくれれば、何かを落としていけれたなら、そう思い始めた。

それは思い違いだ。。。いや、思い上がっているとしか思えない。俺は、馬鹿だと今更ながらに思い知った。

ココログのブログで介護を検索するとその殆どが、自宅で介護をしている人々だ。みなそれぞれに、想いを抱いて介護と向き合っている。それぞれが介護の在り方と方法を模索し懸命だ。

プロだから!!

俺は、変な自負心で、その世界に足を踏み入れては、知りもしない家族の想いを無下にしていたのだなぁと、気付く。思い違いをしている。思い上がっている。

悔恨の一心だ。もしかしたら、いや、確実に傷つけただろう。余計な、混乱を招いているはずだ。。。おこがましい。

その場にいるのなら、まだ許される。自分が出向いていってケアをすればいい。しかし、このネットの世界では、無理な話だ。そこいらのネットに出没するアラシと一緒だ。無責任な事を書き立てて、煽ったりしているのと同じじゃないか・・・

家族は、現実の世界で苦しんでいて、心の平穏を願っているのだ。

僕は、自分がどうにもできない現実を、この世界に投影させて、偉そうに分かったふりをして息巻いている・・・恥だ。

本当なら、しっかりと今までに訪れたホームページに足を運んで、侘びをいれるべきだろう。しかし、それは、もう出来そうにない気がする。とても恥ずかしくて何も言えれない。それに、今更何と言うのか?お詫びを申し上げますとでも?それこそ、今更だろう。散々、混乱させておいて、それはないだろうと思う。

介護に苦しむ人を助けたいと願ったはずが、余計に苦しませてしまう事になるなんて、、、何が護るひとだ。

自分の浅はかさと嫌らしさと、おこがましさでとても耐えれないでいる。

リフレッシュ?

あー、木になりてぇ・・・

最近、そんな風に考える。何て言うか、その、ぶっちゃけどーでもいい。。。って思うようになっている自分と遭遇する。現状に打ちのめされ、何もかもが憎らしく、そして儚く、苦しい。

僕がいる場所は、世界の端の端の方で、そしてそこの大きな湖に浮かぶ、今にも沈んでしまいそうな枯れた藁の切れ端だ。

叫ばなければ、誰にも気付かれない。

優秀だよ。それが出来る人は強い。そーやって世界を変える力を持てれる人間は限られてる。

悶々として、何かに責められている気がして、陰鬱とした気持ちが胸の底からジワジワと広がっていく。切れ端の上から叫んでも、湖の湖面の上の風に吹き消され、絶望の中でそのまま沈んで行くのだろう。


三好春樹先生が我が地元にやってくると言うことなので、早速、講演に行く事にした。この方は、介護の世界に彗星の如く現れた救世主だ。

これまで介護がぶち当たっていた、悶々とした声に出来ない鬱積された思いを、はっきりと声に出し、形として現し、示してみせたのだ。

僕達が陥っているジレンマ。これ以上、手が出せないと悲観し諦めていたちょうどその時に、彼は声を上げたのだ。

介護から目をそむけるな!!

介護にしか出来ない事があるだろう?それを探そうよ。介護が担う世界は無限の可能性と、ダイナミックな感動が待ってるはずだ。そしてその方法は、専門家がこれから考え出し提供し、地獄の底にいる介護の苦しみにのた打ち回る人々を救おうじゃないか。遅くはなった、でもまだ間に合う。諦めては始まらない。

先生の講演を聴いて、元気が出た。

相手にするのは、仕事の速さや、量や時間ではない。顔色を気にするのは、職員でもない。結果を求めても報われないことだらけ。そんなの初めからうっすらと気付いてもいたはずだ。

あの百万ドルの笑顔が待っている。

残された余命を懸命に生きるその姿に感動をする。

自分に負けてはいけない。大丈夫、介護の世界は必ず変わる。僕達介護の人間が諦めない限り、この世界は広がるだろう。寝たきりの老人を起こそうと言い始めたのは、介護の人間だった。オムツを外そうと言い始めたのも、、、

全ての老人に愛を。。。そのためなら、自分はどれだけ擦り減っても構わない。たとえ、その声がかき消されても、沈んでしまっても、それよりももっと苦しみにのた打ち回っている家族がいるのだ。お年寄りがいるのだから・・・

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