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2009年8月 6日 (木)

怒りを通り越してしまうと・・・

久しぶりの更新をして見ました。。。

今まで何をしていたかというと、自分なりの介護の理念というか、こうしたいああしたいというのを、実践していましたが、、、いかんともどうしても実践できないことに、しょげておりました。。。

いつまでたっても、流れ作業でしかできない連中にイライラし、相変わらず、時間と作業でしか動けない考えないリーダーに、ハラワタを煮え繰り返し、それでも自分はこうするのだと、突っ走っていましたが・・・

どうもエンジンが切れたというか。。。

もう駄目なのだと、ついに背を向け始めています・・・

介護が面白くありません。

誰がどんな介護しようが関係ないのですが、、、どうも既存の施設では僕がしようとしていることは、はまらないようで、理解されないようで、、、

なぜなんだろうと、きっと自分の伝え方が下手なのだ、きっと自分の力が足らないからだ、と頑張って着ましたが、、、どうも限界の様でもあります。。。

しばらく、護るひとは休止させていただきます。。。

2009年3月26日 (木)

自分を知るために

あまりにも絶望が当たり前すぎて、あまりにも虚しさが当然過ぎて

ちゃんと歩いているのかさえ見えなくなるのです

僕は何処に行こうとしているのか

進むべき道は見えているのか


毎日、毎日、毎日・・・

絶望が日々を襲う・・・

僕はいつまで立っても老人の持つ、当たり前の世界を護れずにいる・・・

そして諦めそうになるのだ。。。

世界は変えれない・・・

くぐもってしまうその胸の内を晴らすべく、先だって、とある施設に見学に行った。

介護の世界で、介護の勉強をするといつか辿り着く人が、立ち上げた施設。

わざわざ九州の大分県からはるばるその先生のいる静岡まで行った。片道約6時間、JRを乗り継ぎ乗り継ぎ、行ってきた。

そこは

僕の嫌いな老健だ。

そしてそこは、僕が思い描く世界の広がる理想郷。

一人の老人の人生に寄り添う施設。一人のためにある施設。

そんなのできっこないと、諦めている者たちに、どうだ!!と言わんばかりに見せつける。

見学して、素晴らしさに感嘆すると同時に、悔しさがこみ上げてくる。

何故、俺には出来ないんだろうか?

何故、僕には辿り着けない世界が、ここにあるんだろうか?

悔しくて悔しくて・・・自分が情けなかった。。。

先生のお話を聞いていると、丸で自分が怒られているような不甲斐なさに陥り、涙が出そうになる程、この施設が眩しかった・・・

負けたくない

勝ち負けではないが、、、負けたくない。高名な先生だから出来るとか言い訳にしたくない。でもどっかでそうも思っていた。あの先生だから実現できたんだ。。。

僕はいつも迷う

見学後、参加者と懇親会があった。とっても有意義な時間だった。先生とお話がしたかったけど、、、どうも恥ずかしくてできなかったけど、、、他の施設からやって来ている方々の話を聞いて、勇気がでた。

同じ悩みを持つ人。

同じ志を持つ人。

同じ所を目指している人。

そんな人に出会えたのはラッキーだった。いつか世界をひっくり返すぞと、世界の片隅で希望の灯火を消さずに頑張っている人々。

そんな仲間が全国にいるんだってこと。。。

また、どこかでいつか世界を変えたよ!!って喜びを分かち合いたいな!!

追伸

施設見学のツアーを組んでいただいたセミナーの方々、そして年度末でクソ忙しいのに見学をさせていただいた、高口光子先生、とても元気の出る機会を頂き感謝します。

2009年1月30日 (金)

落日の中で

昇りきれない太陽

沈んでいくのは、馬鹿みたいにちっぽけなプライドに邪魔された、人間としての尊厳

ここに人は居ない


老健(介護老人保健施設の略)てのが、ほんとに介護に必要とされている施設なのか、働いていてつくづく思う。

僕は、介護の人生の殆どを老健で過ごしている。今年で10年目を迎える介護人生。やっと入り口に立った。のだが、その入り口から僕はいっこうに前に進めていない。。。進みたいしもっと可能性を広めたいが、その入り口で幅を利かせ、通せんぼをする奴等がいる。

この10年間、僕の目の前を遮る輩の存在。

10年間、僕の目の前で、老人を苦しめ続けている奴ら。

その奴等に戦いを挑んでは、拒否され否定され続ける僕・・・

負けたくない!! だから必死で勉強した。勉強し見せつけるがそれでも分かってくれない。奴らは独自の理論でそれが相手を苦しめていると分かっていてもやってしまうのだ。

その理論が、いつかは目の前の老人の為になると・・・信じている。

信じているものが違いすぎる・・・信じているものが、目の前の老人には通用しないと言う事を、受け入れきれていない・・自分達のやっていることは為になることだから、多少苦しくても我慢しなさい、私達の言う事を聞きなさい。私達は何でも知っているから間違いはないのだと誇らしげに立ちすくんでいる。。。

70、80、90を過ぎた、海千山千の人々に向かって、まだ半世紀すらも生きていない小僧や小娘が偉そうに・・・

大事なことが見えていない・・・

僕らはただただ、生きていて欲しいのだ。もう来年は無いのかもしれない、明日の約束だってできるはずがない。

老いると言う、何もかもを経験してきた人生の達人達が、初めて直面する受け入れがたき困難。その困難を目の当たりにし、うろたえ怯えながらも懸命に老いと向き合って行く姿に何も感じないのだろうか。。。その姿を見たら、もう何も言えないではないか。。。

それでもなお、あれもダメ、これもダメと言いつづけるのか?!

そうやってその人を否定していくのか。

専門性の名の元に!!

M助さんは、最近、水分の飲みが少ないと言う。。。

奴らは少ないから、飲め飲めと無理やり口に突っ込んでいく・・・

水分が足りないから水分を補給しないといけないのは分かってる。。。でもそのやり方は違う。飲まないのは何故なのか?と言う根本の発想が抜けている。可愛そうに、M助さんは、普通の水分では飲まないから、トロトロとトロミを付けられ、お茶を食べさせられてるではないか!! そのせいで一日に必要な水分量は補給できるようになったそうだ・・・良かった良かった。。。。なわけねーだろ!!

拷問にしか見えないな。。。それをして喜んでいては介護に未来は無い・・・

これを見ているこれから老いと向き合う人々は、同じ目に合うと思ってもらいたい・・・良いんですか?!こんなことをされて!!命を助ける為だから、しょうがないと割り切れますか!!

俺ならそんな目には合わせね~!!

お菓子を持っていって、お菓子を食いながら、お茶を飲む。それをしたら奴らなんて言ったと思う?

太るからやめてだとさ!!

お菓子の一個や二個で太るか!! 例え太ってもそれの何が悪いんか!?

太って歩けなくなったらどうするん、太って動脈硬化とか起こしたらどうするん?

それはいつなんか? 太って歩けなくなるのはいつなんか?動脈硬化を起こすのはいつなんか、今なんか?!

わからんやろうが!! 

分からん事を心配して、本人が嫌がらずに苦痛な思いをせずに済む事をやるなっって言うほうがおかしいやろう。。。もう十分、我慢して生きてきただろうに。。。この老健と言う所に、入っているだけでも我慢して入っているのに、、、まだ我慢をさせないといけないのか・・・

おかしなことを言う連中。

それは

医療と看護

それがある、老健と言う施設は、最早、医療と看護の価値観が変らない限り、地獄だ。

我々は根拠のある科学的な進歩した専門性を持っています。それで人の命を守ります救います。。。

苦しめてばかりの連中。。。僕はそこで10年も働いているのだ・・・

2009年1月13日 (火)

新年

新しい年がやって来た。

年末からいやに忙しかった。。。

主任が変ってから、変な仕事がどんどん増えた。

マニュアル人間の主任。。。

どいつもこいつもマニュアルだ効率だ。。。

どーして上に立つ人間はあーなのか。。。

人間相手に効率よくできるか!!っての

そいつは言う。

いまある業務を改善すれば、少しは年寄りのために、マーさんの言う側に行けれるんやないかと、、、

行けれるか!!

行こうとしない奴がいないかぎり、そういう人間を作らない限り、いつまでたっても行けないのだよ。確かに業務の効率の改善は、必要だろう。でもそれイコール老人の為ではない!!

それはあくまで俺たちの働きやすさ。その働きやすさが、必ずしも老人の側に行く口実にはならないのだよ!!

断言する。

業務を見ている限りは、いつまで立ってもお年寄りを見ない。

効率を求めている間は、いつまで立っても質の良いケアには辿り着かない。

そして平気な顔をして言う、老健やから。。。家のようにはいかないんっすよやっぱ。。。

そんな奴が介護福祉士を名乗るな。ケアマネを名乗るな。老人の相手をするな。

老健だろうが在宅だろうが特養だろうが療養型だろうがデイケアだろうがデイサービスだろうがグループホームだろうがなんだろうが、やる事は目指す所は一緒だろうが!!

だから、今、続々とで作られているいる志のある者達が作った小規模の施設から、今までの大規模施設はダメだ! と言われるのだ!! あすこはただの小屋だと言われるのだ。

何故なら生活のニオイがないからだ、生活感が無いからだ、覚悟がないからだ。

頭に来る。

頭に来るが、しょうがない。そんな奴ばかりが上にいるのだから俺は勝手にするしかない。奴等がなんと言おうと、効率は求めない。業務は優先しない。世界は自分の力で変える。

いつか俺も言ってみて~。こんな施設はダメだよ!! って。

今年の目標を立てました。

基本に立ち返り、お年寄りのケアを徹底的にする事。一つの事例を徹底的にする事。老人の顔を真剣に気にすること。

効率的にしたい奴はしておけ!! そんなん考えてる暇は俺にはないんだ。そんな暇を俺に持ってくるなよ!!

だから年末は馬鹿みたいに忙しかったんだ!! 

2008年11月18日 (火)

気づいたことがあるんだ

ちょっと気づいたことがある。

急に気付いちゃったこと・・・

僕には目指す所がある。そしてそれは独り善がりかもしれないかもしれないが、施設にとっても施設の職員にとっても、そして何よりも施設を利用しているお年寄りにとって良いことだと信じている。

高い理想かもしれない。奇麗事かもしれない。

でも曲げれない。

そこに辿り着きたい。辿り着けると思っている。

でも邪魔ばかりが入るから、中々、前に進まず眉間にシワを寄せ人を寄せ付けずに働く。何故、気付いてくれない? 何故、分かってくれない? と周りを憎んで憎んで憎んで今もなお憎んでいる。

そして

辿り着いた。

あそうか

僕はあまりにも人を憎みすぎて、自分を見ていなかったのだ。

僕は、高い理想を追うばかりで、周りにそれを目指させようとするばかりで、自分は何もしていなかった事に気付いた。

目指す目的地のスタートラインにさえも立っていないのだ。道に立っていないのだからどんなに頑張っても辿り着くはずがない。高い壁ばかりを見て、この壁を立てたのは誰だ!! と憤ってばかりで、壁を登ろうともしてなかった。そりゃ乗り越えられるはずが無いのだ。

僕は知っている。目指す場所に辿り着く方法を。

僕は分かっている。どんなに高い壁でもよじ登り超えて行く手段を。

なのに一つもやっていない。誰かに期待ばかりを寄せて、自分はその誰かの尻を叩くばかりで、その誰かが出来なければ「バカがクソが」と嘆いてばかりで。。。

自分がやっていないし、方法論も知っているくせに教えもしないで、周りが出来ないのは当たり前だ!! 周りがしないのも当たり前だ!!

バカは俺やねーか!!

自分を見つめなおすのだ。

理想に近づきたいなら、今の俺がナニをするべきか見直すのだ。ほんとに小さな事から始めないといけないな。毎日、自分からみんなに挨拶しよう。毎日、自分から声をかけよう。

そして、ちゃんと一人一人、老人と関わるのだ。一日1人で良いから、一人のお年寄りから始めよう。そしてそれを伝えるのだ。介護はこうなんだよって、そうした上で伝えるのだ。

自分がやること。

そうしなければ、理想は近づいてこない。誰かに期待をするのではなく、僕自身がちゃんと歩くこと。道しるべは持っている、迷う事もないはずなのだ。僕が歩いてまず道を作る。そして、その道を皆に歩いてもらうのだ。僕が登って登り方を示す、そして皆に登って来て貰おう。

それをしたつもりだった。つもりになってただけで、してなかった。だからだれも来れなかったんだ。僕は足跡をつけてなかったのだ。

僕の課題ができた。まずは他のひとがうんぬんではなく。自分自身がどうお年寄りと向き合い、ケアを作り出すかだ!!

やりますよ、僕は!!

2008年11月 8日 (土)

在宅復帰を考える。。。

在宅復帰、、、在宅復帰、、、

ほんとに在宅復帰は必要なんかね・・・

いやそりゃあ、じぶんちで自分の両親を面倒みたいだろう。

そりゃあ、じぶんちで老後を過ごしたいだろう。

分かってる。

みんな、それをしたいのは分かってるんだ。

でも。。。

それを許せる環境ではない。もっと言えばそんな時代背景ではないのだ。。。

今の介護の現状は、ほとんどが団塊の世代が主介護者。。。団塊の世代は好景気に乗せられて自立して生活を作ってきた。親とは暮らさない。そしてその両親も子供の世話にはならない。。。

一昔前までは、親の面倒は子供がみるのが当たり前だったはずだ。。。

時代がそれを出来にくくしているのは間違いはないだろう。。。それでもできれば親の面倒をみたいが、仕事や家庭の事情で見れくなっている。。。

お年寄りは、やむ得なく施設にやってくるのだ。。。

家族はやむ得なく施設に預けるのだ。。。

家で面倒が見れるのなら、初めから施設には来ないだろうに・・・

何故か

老人保健施設は

在宅復帰を大きな柱として掲げている。

そう老人保健施設は、元気にする為に一時的にお年寄りを預かり、元気にして家に戻すのだ。。。

元気?

どこからが元気というのだろうか。。。

タツ子さんは、車椅子が無ければ自分の行きたい所には行けない。でも車椅子は自分で運転ができる。

アサヨばぁさんも車椅子。全く意思表示もしなければ、ピクリとも動けない。でもての力は物凄く強い。

言いたい事が分かるだろうか。。。

結局は元気は何処からと言う線引きは出来ないわけである。。。

下手をしたら元気でもないのに家に帰りましょうってなることだってある訳だ。。。

僕はこの在宅復帰に疑問を抱く。。。

何故?

何故、在宅復帰をしなくちゃいけんの?

在宅復帰をすればするほど、お年寄りと家族が滅茶苦茶になる気がしてならない。。。

お年寄りと家族が置き去りにされている・・・

家族が本当に望むことはなんだろう・・・

じーさん・ばーさんが本当にして欲しいことはなんだろう・・・

家に帰ること。

当たり前だ。入りたくも無い老人ホームにやむを得ない事情で入っている。家に帰れるなら帰りたいにきまっている。自宅で介護したいに決まっている。

でも僕等が目指すのはそこじゃない気がする。。。

家に帰れて良かったね。なんて笑っていられるような社会福祉士やケアマネ。ちょっと考えて欲しいんだ。

家に帰る前に、ナニをしたの?

今いる場所で、何か提供出来た?

訓練が本当に自宅に戻っても効果があるの?

在宅復帰って響きはとっても良い。。。でも、やってることは、老人とそれを取り巻く家族を、振り回す最悪のシステム。

在宅復帰なんてシステムなくなればいいのに、、、、

なんて言うと、じゃ特養と変わらないじゃないの。。。なんて言う馬鹿が出てくる。

なんで特養とか老健って線引きや格差をつけないといけないの? お年寄りや家族はどっちだって関係ないよ。面倒みてくれるのなら特養だろうが老健だろうが、どこかの家だろが、、、

もしつけるなら格好な対象があるじゃない!!

医療と看護が側にいるって事!!

特養との差をつけるならこれしかないと思うんだ。普段は、生活者のサポートに回るが、いざとなったら直ぐに診てくれる存在。こんな便利な機能は無いと思うな。。。まぁそれも看護と医療の質によるけど。。。

専門バカの医療や看護ばかりがいるなら、必要ない。老人は病気を治したくて施設に来てるんじゃない。やむをえない事情でやってきているんだ。つまり入りたくて施設にやってきてるんじゃないってこと。病気を治して欲しいから行く病院とは違うって事。

それを分かったうえでの、医療と看護の身近な存在が。しいて言うなればの老健のメリットじゃないかなぁ。。。

在宅復帰はやめようね。。。

もちろん家に返すなってことではないのは、分かるよね?!

その前に、やるべきことがあるんだよってこと!!

2008年10月19日 (日)

くそだまり・・・

長い年月を掛けて、

推し量れないほどの

苦しみや悲しみを抱え

今もなお、その生きてきた全ての終わりが近づこうとも

たくましく、たくましく

目の前の人々は、生きている。


元々、長続きしない性分なので、数々の職を転々としこの介護という職業に辿り着きました。この仕事が面白いと思う反面、職場には行きたくないと思う事が殆どで、介護の仕事が好きながらも、やはり長続きしない性分なもので、他の施設を転々としました。

この仕事を始めて、その殆どの年月を介護老人保健施設という所で過ごしています。もっと言えば、これ以外の福祉施設に就職した事がありません。なので、他の介護の施設、、、例えば介護老人福祉施設つまりは特別養護老人ホーム(通称特養)などには行ったことがありません。どんなもんかも知りません。。。あまり偉そうに施設の事は語れません。。。一年だけグループホームに働いてました・・・

介護人生が始まってその大半を、老健で過ごしています。。。

で思ったことは

老健は糞だ!!

ということです。。。

もっと言えば

バカです。。。

それぐらい、介護老人保健施設というシステムは行き詰っていると言う事です。。。

後ろ盾になる医療法人が立派であればあるほど、その行き詰まり感は、度を増して行ってる様に思えます。。。

建物は立派で綺麗でも、一度、中に入れば、もはやそこは地獄です。。。

老健なんて制度はなくしてしまえばいいのに・・・と思ってしまうほどです。。。

何より、医療職・看護職が幅を利かせていることが、きっと、この老健の、諸悪の根源でなかろうかと。。。。

老人を患者扱いしてんじゃねー!! 

看護職は、生活を取り戻そうと必死の人々に、生命の危惧を理由に生活からどんどん遠ざけていきます。生命の危惧を治す事、生命の危惧の原因になる病やそれによって患った身体状態の安静管理をする事が、まずそれを第一の優先とし考えています。。。それをするから生活する為の、身体が守れるのだと、、、

じゃあ何故、病院を出されてきたの? 何故、家から病院、ではなく施設に来たの?

もう病気は、病院ではこれ以上治療しても治らないから、、、家から病院に行っても、治療する事ではないから、、、、だから施設に回ってきたのではないの?つまり、病気を治す必要がないということなのではないの?

そんな場所で、何故、まだ病気と向き合おうとするのか?いや病気と対決しようとするのか。。。僕には不思議でならない。病院で治らないといわれた人が、施設で医学的・看護的な対応して治るのなら、病院はいらない・・・

簡単だ。

医療と看護は、病気しか知らないからだ。。。病気を診る、看ることで自分達の専門性を高めてきた。なので突然、もうこれ以上治らないといわれても、それでもその方法しか知らないから、それをやろうとするのだ。。。生活とは程遠い。。もはや専門に取り付かれた専門きちがいなのだ。。。やっきになって血液のデータをとったりしてカリウムが少ないら、脱水だから水分を飲ませろと言う、飲みたくなくても、データで悪いと出てるから飲めば治るから、関係ないのだ。治るからこそ、自分達の専門性の価値なのだ!! お年寄りが苦痛の顔浮かべても、嫌な苦しい思いをしても、データの方が悪いから、そっちが優先なのだ。。。

そんなことばかりをするから、老人はますますお茶を飲まなくなり、さぁこれは大変だとなって、、、点滴を打ち、鼻やお腹に管を通し、身体の機能を維持させようとする。。。

医療も看護も耳障りの良い事を言う!!

尊厳

それが彼ら彼女らの言う尊厳か!!

言葉遣いはバカ丁寧なわりに、拷問のようにしてお茶を無理やりに口に押し込んで。。。結果、管をつなげて。。。

介護は違う。

介護は常に病気と向き合ってきた。いや病気を知らないから、もう諦めるしかないのだ。。。病気と共に生きていこう。介護はできない事は諦め、できる事を探す事にしたのだ。水は飲まないかもしれない、でも指が起用だ。じゃ、裁縫でもしてみよう。。。その合間にお茶を差し出したら、あっという間に飲み干した。。。そんな事例をいくつも作ってきた。。。なのに看護はあれはダメこれはしてはいけないと、制限をかける。骨折の既往があるお婆ちゃんが夜中にトイレに連れてって欲しいと言った。トイレに行きたいなら連れて行く、その為の介護技術もスキルも持っている介護職は迷わず連れて行く。でも骨が折れるかも知れないからトイレに行きたくても連れて行くなと看護職は言う。昼間は車椅子に座っているのに?それを突っ込むと夜は眠っていて足の力がないから危ないと言う。じゃあ足がつかないように抱えればいいんじゃないのか?その為に移乗の介助の訓練を介護も看護も学校でもしくは技術講習で学んでいるのではないのか? あなたは力があるから・・・あなたが1人でする訳にはいかんやろ?トイレに行きたいと行ったときに毎回あなたが来てからする?そんな訳にはいかんやろ?その為に組織があるのではないか?1人ではできないから皆でかばーするのではないのか?あなたが連れて行ったら、お年寄りにあなた達はトイレにも連れて行ってくれんと、悪者にされる・・・といい、介護を責める。。。

太るからと、好きなパンも食べられず、こっそり買ってきていたアンパンが取り上げられていく。僕たちでさえ、時々はお菓子や菓子パンをつまみ食いするのに・・・老人は許して貰えない・・・

僕は10年間それを見続けて来た。どんなに生活を取り戻そうと頑張っても、医療と看護が邪魔をする。医療と看護に感化された介護が邪魔をする。。。

老健ほどそれが強い場所はないのではないか??

思う

言い過ぎかと思うが

思う

老健は介護から手を引け。。。

もしくは介護を主にし看護医療はサポートをしろ。。。何かあったときに駆けつけてくれる程度でいい、それも迅速に。。。めんどくさがらずに。。。

介護にたずさわる人たちが心がける事、、、

それは失われた生活を取り戻す事だ。希望を、そう今にも消えそうな、まだ生きていたい!!と言う希望の灯火を消さない事だ。

それが出来ない者、理解出来ない者は介護の世界に来るな!! 居なくなれ!!

急性期の救急やオペ室で人の生命の危惧ばかりに目を向ける場所で働いてくれ…

俺達の邪魔をするんじゃねー!!

2008年7月 9日 (水)

学べ!! 

この仕事を始めて、もうすぐ十年という月日が経とうとしている。介護の仕事がこんなに長続きするとは思いもよらなかった。。。もともと、仕事に関しては長続きしない性分なようで・・・介護の仕事を始めるまでは、職を転々としていた。。。まぁ、それでも介護の中でも違う施設を転々としているのを考えると、どうも同じ場所に長くは居付けないタイプなのかも知れない。。。何故か?!

介護の仕事は楽しいと感じる。

でも、職場に行くのは楽しくないと思う。

このギャップはキツイなぁ・・・

なぜ仕事自身は楽しいのに、職場には行きたくないと思ってしまうのだろう。。。

答えは、、、

自分が思い描いている理想が追えないから、理想に届かないから、、、

自分が、こうしたいこうしてあげたいと思っても、できないさせてくれない環境だから。。。

もっとこうすればいいのに、そのやり方はおかしい、と声を上げても届かないから、、、

目の前にいる愛しい老人達が、めちゃくちゃにされていくのを僕はどーすることもできないのだと言う無力感・・・

仕事に行ってもそこで存在価値を見出せないから、僕は辞めたくなってしまうのだ・・・お給料の問題なんか二の次三の次の問題、きっとどんなに安くても、僕の目指す事ができる職場になるなら、辞めたりはしないだろう・・・まぁおこがましい限りの話だが・・・

先日、職員会議があった。

毎月一人づつ、スタッフが勉強した事を発表するという事に今年度はなっている。。。勉強していない奴はど~するんか? と思ったが、大人数が集まって教科書に書いている事ばかりをレジュメにして配って、それの棒読みの普段の身にもならない施設全体での勉強会よりは、まぁ独自の勉強会なのでしないよりは良いだろうとは思い、今は口をつぐんでおこうと思うっている。それに嫌がおうでも勉強しないといけなくなってしまうので、まぁ、介護の資格を取ったからもういい何て思っている連中にとっては機会にはなるだろう。。。

で、今月はオイラの番。

今までこれが言いたいここが問題だと言う事を言いたいときに、何故か出席できなかったので言えなかったが、今月はオイラが当番で会議の日にちも決めれる。一番、言いたい奴に思いの丈を言える機会がやっと巡ってきたのだ・・・

で会議では入浴の問題を指摘。芋洗いのように流れて人を洗うマシン的な作業から、じっくりと老人と向き合い人間らしさを取り戻す、介護をしようと提案!! これは今の施設に入ってもっとも言いたかった事、、、まぁ風呂が早いこと早いこと、狭い脱衣場には車椅子に乗ったお年寄りが2~3人、それから車椅子を使わない杖の人や歩行器の人が2~3人と溢れ返っている。しかも浴槽にはまだ人が入っているにも関わらず、次の人がシャワーの所に来て身体を洗うものだから、浴槽に入っている人にシャワーがかかったりして、、、おちおち風呂に入っていられずに、浸かったと思ったらすぐに風呂から上がってしまうし、上がれば今度は脱衣場に誘導せねばならず、時には「まだ入ってて!!」などと理不尽な事を職員に言われてしまう。脱衣場はごったがえし、それはそれは戦争のような混乱・・・

「ゆっくり行こう」

と促し、わざと時間を空け脱衣場に来る人を遅くしていると、浴室の中で身体を洗ったりしている人が、つかつかと次に入る人の所に行き連れてくる始末・・・

「何をそんなに急いでいるのか」と聞いてみたら・・・

フロアが回らないから・・・

お前、もう風呂せんでいいから出て行け!! 風呂は俺が全部1人でするけん!! 

とキレそうになるの堪えた。よく堪えれたなぁと思う。。。耐えてはいけない事だが・・・

ちゃんちゃらおかしい事を言うものだ・・・老人介護での施設でのお風呂はフロアで働いているヒトの為にするようである。決して施設に入所しているお年寄りの為に風呂に入れる訳ではないみたいだ・・・ばかばかしい・・・気を使うところが違うやろ?

早くしなければフロアが回らず業務が上手く回らず職員が大変だから、だからお年寄りがお風呂で気持ち良く入れているかなんて、考える必要はないのか!? 業務を早く職員の負担にならないようにしっかり回せばお年寄りは入りたくもない施設に入って、入って良かったと思えるのか?! 業務を早く回さなければ、問題老人と言われているお年より達は問題老人と呼ばなくてよくなるのか!? 

なので、言ってみた。ゆっくりやろうよ・・・

しかし、どーもうちの施設のリーダーには届いてないようだ。。。ゆっくりするには時間がかかるから、どこかを削らないと。。。

削るとか削らないとかじゃやないんや!!  俺たちがしている動きの中にお年寄りがいないじゃないか!! 老人ありきのこの仕事のはずが老人が置き去りにされてるじゃないか!! 削って時間を取れたとしてもそこに本質的な事がなければ結局はお年寄りは、流れ作業のベルトに乗せられているだけになってしまうのだよ・・・何故、分からない!!

ため息をついた。

そして次に勉強会。

三好春樹先生の講習で習った事を講義した。介護の専門性とはと言うのと、関係障害論・・・

でこれが終わった時のリーダーの感想を聞いて、謎が解けた・・・

「私達はできてるようにおもうよね、みんなそれぞれ何やかんや言いながら、専門性も出せてるし、関係も築けている・・・」

そうか

できてると思っているから、、、俺がどんなに見せても言っても通じないのだ。見えている世界が違うのだ。

このリーダーは直接その場でおかしい事はおかしいと指摘してあげないと理解できないのだ。何度もコールを鳴らす人の側に何故、俺が休憩時間を削ってでも何もせずに傍らに座っているのか、呆けているお年寄りの側に俺が何故、業務を後回しにし時間を沢山費やしているのか、、、分からない。このリーダーは自分の中では十分に対応できていると感じているのだ。一番、やっかいな存在である。見えている世界が一致しないし、やろうとしている事も全くの眞逆。そして、何故か皆、このリーダーの言う事、やる事を真似する。。。こいつをやっつけない限り、俺は、今の職場に楽しいと感じて行けないだろう・・・

でもう一つ。

学んで欲しいのですよ。

だれかに機会を与えられて、渋々と勉強をするんでは身に付かない。学ぶのは何の為かと言うのを理解して欲しいのです。

僕たちが良く介護のことや老いのことを知らないで、どーすると言うのか。。。

無知の者に介護をされた人は悲惨です。悲しい結末まであっという間です。メノマエニいるたくましいお年寄りが、長生きしてよかったっと思える為には、しっかりと勉強しなければならんのです!! 学んでくれよ!!

2008年6月 8日 (日)

尊さに向かう、理想と現実

修行のようなそんな日々を

仏のような心を持って、

決して怒らず、笑顔を絶やさず。

困難からも逃げ出さず、そして。。。

今日も誰かの手をさする・・・


一時期の介護人気から、昨今は福祉現場に人が足らない、、、そうだ。

介護産業のブームに乗って、介護の世界に足を踏み入れた僕は………



今から10年とちょっと前に僕は介護の門を叩いた。

超高齢化社会の到来!!  巷では介護保険制度が始まるからと、介護産業に注目が注がれ始めた時期だった。

そんなブームに乗り、年寄りの世話をするだけで飯を食っていける、出世や成績、上司や同僚の顔色を気にせず、のんびりした時間を過ごせるのではないかと、甘い意識を抱いて僕はこの世界を選んだ。

それまでの僕は、、、高校を卒業してすぐに就職。社会の厳しさに悲鳴を上げるアマちゃん小僧だった。働くのは苦しい!! 働きたくない!! 働くのは楽しくない!! こんなに働くのが苦しいのなら死んでしまいたい!! 色んな仕事をした、、、が長続きしない。。。もうダメだ、働くとどうにかなりそうだ、、、でも働かねば、、、どーすればいい?! そう考える日々。 悶々とした毎日を過ごし、死んだような目で会社に行き、ズタボロになって帰宅し、家族とも口を聞かずにすぐに眠り、、、また同じ事の繰り返し、、、助けてくれ!!

そう願い辿り着いたのが、介護の専門学校だった。

卒業するだけで資格が貰える。こんなおいしい話があるなんて!! すぐに飛びついた。学校の授業料はそれなりに高額だったが、楽して資格が貰えて、そしてこれから超高齢化社会が待っている。食いはぐれの心配はまずない。 夢みたいな話。



卒業して現場へ・・・

しばらくして死にたくなった・・・

目の前には絶望の淵で、それでも何とか生きたいとのた打ち回る老人。老人。老人。

ヒモで縛られ、自由に歩く事も起きる事も、トイレに行く事も食事をする事も、、、何も出来ずに、ただ死ぬのを待つだけ。

介護は絶望を提供する世界

教科書とは全く違う、先生の言っていた事なんて誰一人として行っていない世界。。。現実とは残酷だ。

辞めたい

そう思うのも無理はないだろう…まだ今までしてきた仕事の方が楽だと、心底思った。生き地獄を見せ付けられるのらば、どんなにつまらなくても、キツクても楽しくなくても、はるかに今までの世界の方がマシなのだから。。。





福祉の現場から人が離れているらしい。

福祉の現場から、人手が減る一番の理由は、給料の問題だそうだ。確かに、仕事の過酷さから考えれば、その報酬は割に合わない。

そりゃ、人が離れるよ、、、、、、

けど、じゃあ給料上がれば人は離れないでいるのか?

これは、、、あくまでも僕個人が、この世界で感じている事なので一概には言えないけれども、本当はみんな、、、お金じゃないんじゃない???

生き地獄を見せられて、それでもお金をくれるから、、、、って何だかなぁ・・・と言うか、どんなに給料良くても、おそらく今の介護の現場の考え方からみると、人は長くは居られないんだよ。。。

辞める理由に、「生き地獄がしんどくて辞めました」 何て、他の会社に移る時に言えないもん。。。そんな時に手っ取り早い言い訳が、給料なんだよ。「給料が安くて、、、」 何て言えば、もっともな話に聞こえるものね。

介護の世界は、人間性が問われる世界。

それに耐えれる人ってのは、やっぱりこの仕事が本当に好きでなければ無理だと思う。お年寄りの老いへの想いを汲み、何とかできないだろうか?と知恵を絞り、あーでもないこーでもないと汗をかける人が、この世界にムイている人ではないか?

なのにちょっとしたブームや、取り合えずの腰掛け感覚の連中がやって来て働いているもんだから、丸で修行にも似たこの世界で耐えれずに辞めて行くのではないか?

どーも、給料が安い!!って言う話ばかりが表沙汰になるのが気になる。確かに、給料水準は低いですよ!! それこそどこかの官僚にでもなって、暴利をむさぼりたい気分です!! で、いつも思うのが一番先に議論されてるのが、給料水準を上げろ上げろしか言わないのが、腹立つんです!! 

給料水準じゃなくて、サービス?もっと言えば介護スキルの水準を上げるべきだよ。。。生き地獄が提供される事が減り、じーちゃんばーちゃんが、長生きしてよかったぁ、生きてて良かったぁ、もっと生きていたい、あの施設に入ってみてよかったぁ、あの職員に死ぬ前に出会えてよかったぁ、って思われる世界が増えるべきなんじゃないかなぁ。。。

お年寄りはね、身を持って僕達に見せてくれてます。生きていく事、老いて行く事、それと向き合っていく事を、、、、とっても尊い仕事をさせてもらっているのだなぁと思います。介護の仕事はこんなにも幸せに満ちているって事を気付かせて上げれるようになれば、きっと人は簡単に離れたりはしない。

と格好良い事を思いながらも、もう少しお金が欲しいと思ったりする。。。せちがらい世の中ですな・・・・・・・・・

2008年5月25日 (日)

Be with you

今回は、【GLAY】の歌に影響されています。

[共に] が増えると良いな

そう願わずにはいられなくて、、、、

GLAYファンの皆様、そしてGLAYのメンバー、GLAY関係者の方々、勝手に歌詞を引用させて貰ってスイマセン。。。

今の僕には、とても心に響く歌なので

あしからず、、、


あなたに会えたこと  幸せのあとさき



沢山の老人に出会ってきた。そして、今も出会っている。  

そんな中で昨年、一人のお婆さんが亡くなった。このブログでも始めの方に登場したことのある、夜にトイレに連れて行って欲しいと言い、ポータブルが無いので仕方なく頑張ってトイレに連れて行った事があるお婆さん。。。ポータブルが無いと知ると、オムツにするからと気を遣ってくれた優しいお婆さん。

僕が今の施設に勤め出した当初は、鼻にチューブが入ったままで、御飯を口から食べていた、いや正確には食べさせらていた。食べたくないと言うのに、拷問のように無理やりに口に入れられ、それでも食べないものだから、鼻にチューブが入っていた。

脱水になるからと、飲みたくないと言うのに、無理にお茶を飲まされる。クダが鼻から喉元を通って入っているから、飲み込みが上手くできないので、ムセるものだから、トロミを付けられ、そのトロミが喉を通る時や口の中での、どろっとした感触が気持ち悪いから、余計に飲みたくないと言い、結局は鼻からチューブを通して水分を摂っていた。

食べたくない飲みたくないと言う理由を探す事。どーしたら食べたい・飲みたいと思ってくれるのか考える事。そこに介護の専門性が潜んでいるのではないのか?そこには、無限に広がる可能性。それが介護と言う仕事の醍醐味の一つでは無いか?!

御飯を汁に漬けて口に持っていくと食べた。サジにすくう量を減らしてみたりして工夫し、少しずつ少しずつ時間を掛けて食べていく。 ふいに、「そろそろチューブから行きましょう」とリーダーが言った。無視し、食事を続けていると、経管栄養食をこれ見よがしにそのお婆さんの部屋に持って行き、「もう良いですよ、食べないから」と言い放った。キレそうになるのを堪えた。そして鼻から、、、

夕食の時に、僕が管を抜き取った。車椅子に乗せる時に外れたから、、、とウソをつき、時間を掛けて口から食べてもらおうと決意した。

「いらない、あんた食べよ」とお婆さんに言われたので、その御飯を一口食べた。そして「今度はばあちゃんの番」と言って、それを繰り返しながら、全部を口から食べてもらった。ガッツポーズな俺。

しかし、次の日の朝には、また鼻にチューブが入っている。。。

それが現実の世界。

家族は介護の苦しみから助けて欲しいと我々を頼る。そんな家族からみれば施設は神々しく輝く救いの館だろう。だが、そこではおよそ人の営みとは思えない事が平気で行われる。これが専門性ですからと、何も知らない家族にそう見せ付ける。専門性と言われれば、そりゃ家族は何も言えまい。。。

専門性という名の元において、苦しみや悲しみを我慢しなければならないのなら、そんな専門性はいらない。。。

我々に出会うこと

幸せなのか不幸なのか…目の前には境界線が引かれている。光か闇かの選択肢。老人の行く先はどちらだろう?老いて果てる先は近いようで遠く、それまでの時間は地獄の日々にゆだねる事になるのだろうか?

老人の苦しみは、老いると言う事から向き合いだして始まって行くのかも知れない。。。誰もが老人ホームに入るだなんて、若い頃は思いもしないはずだろう。。。幸せは何気なくて、満たされている時は顔を隠しているからだ。。。

老いると言う事と向き合おうと懸命に戦っているお年寄り達が、足早に駆け抜ける僕等を呼び止める。振り返る余裕もなく、足を止めるヒマさえも惜しい…僕等は時間に業務に終われ続け、時に老人を責める。あれもダメこれもダメ。夜は起きてテレビを見てはダメ、お菓子を開ける為に持っていたハサミもダメ。そうやって老人から何もかもを奪う。そんな権利が何処にあるのか? 専門家だからか? そのせいで老人が苦しみを伴うのなら、そんな専門家は要らない!!

そして、そんな連中の顔色を気にする良心ある介護士と老人。やすらぎに身を寄せる間も無いのは何故なのか?

強くありたいと願う僕は、それでも自分が可愛いから、今のままに甘んじてしまおうとする。生きる強さを欲しがるわりに、弱い自分に甘えてしまうのだ。

いくつかの夢が滲んでいく。。。

目指しているものがある。でも辿り着けそうにない。自分が変われない限り、世界も変わってくれないだろう。そして変わろうとする勇気すらない。声を出すのが怖い、出したとしてもその責任を取るのも、、、この仕事の尊さや楽しさややりがい、本当にお年寄りを好きになる方法、こんな世界を作りたいんだと言う情熱、臆病な夢の高鳴りを伝えたくて伝えたくて、どうせ届かないと諦める毎日。そして、眉間にシワを寄せ誰か気付いてくれ!! と、祈りながら働いている。

うなだれ雑踏に埋もれそうになってしまう時、、、



あなたに会えたこと

その度に、じぃちゃんが、ばあちゃんが、僕の前に立ち道を作ってくれる。

信じあえてること

お年寄りの側に寄り添い、共に生きていくと決めた。お年寄りもそれを求めていると確信している。目の前のお年寄りの苦しみ悲しみ喜び、その一つ一つに心を震わせ、老人からは決して逃げないようにしよう、そう決めている。

さえぎるもののない  あなたへと続く道の上で  今  愛を束ねて届けたいと願う



本当にお年寄りを好きになる方法を見つけた。老人が愛おしいと思える瞬間。

それは、全てにとことん向き合い付き合うこと。 老人の持つ満たされない欲求に、何が何でも応えようとすること。 あーして欲しい、こーして欲しい事に、あーでもない、こーでもないと言われ振り回され、時に憎んでしまうこと、、、そしてそれらを超えて得る瞬間がある。

あ、生きるとはこう言うことなのか、老いるとはそういう事なのか、、、眩しい程のきらめきに僕はうろたえ、そして、人は人との関わり無しでは生きていけないと気付き、お年寄りの傍に行かずにはいられず、その何十年と紡いで来た人生の凝縮されたシワだらけの手を握りしめるのだ。

どんなに願っても、どんなに想っても、どんなに勉強しても、どんなにキャリアを積んでも、お年寄りは僕らの言いなりにはならない。思い通りには行かない。そんな時は、優しさを忘れる自分がいる。分かっている、頭では分かっているんだ。。。何十年、そう1世紀近くも生きてきた人に、生き仏のような人に、まだ人生の初めの方しか知らない、いや人生なんて語るにもおこがましい身分の若造の言う事なんぞ聞く訳がないなんて…でも、だからこそ力が入り、空回りをし、自分を責める。

仲間にも辟易する。こーすればもっと良い介護できるのにと伝えても、思い通りに行かない奴がいる。。。苦しみを提供する、介護福祉士とは名ばかりの連中。 無理強い、拷問、いじめ、時間ばかりを気にし、周りの顔色ばかりを気にし、、、イライラし口を聞くのも嫌になり、声を掛けられてもムシし、眉間にシワを寄せ誰も近寄らせずに仕事をする。

優しさを忘れた自分がいる。。。

時に利用者と我々職員。そして職員同士は、信頼とは何かを疑い出すようになる。疑いは誤解を生み、誤解は距離を作り、距離は大切な情報を伝えず、キケンを生み、キケンは介護の質を落とす。そして、質が落ちればまた疑いを生み、、、際限ない悪循環のサイクルができあがるのだ。。。

迷い続けている。今、自分がしている介護は、本当に苦しみを提供していないのか? 自分自身がリスクになると言う現実にもがき、それでも、老人と共にと言う譲れない信念を持っている。背中に重い責任と介護福祉士と言うプライドが常にのしかかり、いつも介護の事を考えている。どーすれば世界が変わるのか? 何故、分かってくれないのか? 周りはクソでバカばかりだと、自分を棚に上げ誰かのせいにしてばかりで、そんな想いを誰にも言えず伝えれず、、、、世界が沈みそうになっているのを支えようと、誰も信じずに一人で空回りし、もがいている。。。

そんな中でも………

生きてて良かったと言って欲しい。 長生きをして良かったと言って欲しい。 入りたくないと思っていた施設に入ったけど、入ってみたら良かったと思ってもらいたい。 死ぬ前に僕に出会えて良かったと思ってもらいたい。    これからず~っとあなたを守りたいと思うよ

思い出の青さに  涙が止まらない

幾人ものお年寄りが、苦しみを抱え悲しみを訴え、僕を憎みながら死んでいった。 今も同じ過ちを繰り返している。

何度、泣いたのか? 

何度、自分の不甲斐無さに拳を擦り減らしたのか・・・・・・・・・







あなたに会えた事  幸せの後先

ここから二人きり  心  寄せ合って

さえぎるもののない  あなたへ続く道の上  今  愛を束ねて

そして

あなたの愛になりたいと  思うよ

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